お米のカエル物語
1987年〜1996年頃の表現です
1989年ハラミュージアムアーク(群馬)での公開制作「世界食糧銀行構想」
1989年都市計画事務所で働いているときに、会社で食糧問題に取り組むことになりました。
そのときに会社の上司や周辺の皆と意見が合わずに悩んだあげく、
世界食料銀行構想というものを考え、そのプレゼンテーションを展覧会場で行ったことから
ごたごたがはじまります。
1991年 東京都文京区本駒込にあったアトリエで3ヶ月ほど展示していたお米の砂漠
1992年「2025カエルの池シンポジウム」青山スパイラルガーデンでの展示
1トンの食べれなくなったお米のおにぎりでつくられた2048匹のカエル達
直径15mの池を埋め尽くそうとしている様子
上空からは戦闘機の十字架がいくつもいくつも落ちてきている状態
池を囲むスパイラル状のスロープにはいろいろな専門家に行った
インタビューの映像が流れている。
天井からの戦闘機の十字架が崩壊してきました。
お米のカエルもだんだんとカビが生え、瀕死の状態に。
バーカウンターに腐ったおにぎりのカエルや蛆虫が涌き出たカエルを設置し、
そこで皆さんにくつろいでもらう企画
2週間の限定営業でしたが、大勢のお客さんがお酒やコーヒーを楽しんでもらいました。
これからBARとかカフェという表現方法がはやりはじめました。
1994年高松市美術館での「カエルのキャンペーン」
お米のカエルの全体にカビがひどく生える頃、鹿児島で水害に遭遇しました。
鹿児島の水害で発生した石橋撤去、保存の問題に対して、
腐りかけたお米のカエル達といろいろキャンペーンをおこなったりしました。
1994年福岡市美術館での「カエルのキャンペーン」
大濠公園横の美術館への入り口に使われなくなった大島紬の織機を使って
腐りかけたお米のカエルを並べる展示。屋台風ですがのぞくと変なものが。
屋内には樹脂付けのお米のカエルの墓石がこれからどこかに設置される状態
壁には数百万円するといわれる大島紬が展示されていた。
なぜだろう? 答えはそのうちに。
1995年世田谷美術館での展示
お米のカエル達はいなくなり、なぜか福岡市美術館の学芸員達が集めた
500点のカエルグッズが高級大島紬とともに展示される
壁には世紀末へのカウントダウンの数字が
1995年京都市龍池小学校跡の講堂での「カラスのなきごえ」
お米のカエルはすべて樹脂の塊になり墓石のようになり、会場の中央には
蓮の葉で埋め尽くされた池が。
会場ではなぜか「からすたろう」の絵本を英文と日本文で朗読していた。
舞台の上はこれからからすたろうが「からすの鳴き声」をまねする状態。
中身がずいぶん抜けました。
またいづれ時間ができたらしっかりと紹介します。