Author: Geco
Sep 24, 2019 biograf
FujiBio
いろいろな藤浩志略歴・経歴・紹介文など 必要に応じてコピーして、書き換えたりしてお使いください。 □ 藤浩志・紹介文(50文字程度) 藤 浩志(ふじひろし) 美術家 対話と地域実験という手法を用い、地域に創造的な活動を作り出す。 https://geco.jp □ 藤浩志・紹介文(100文字程度) 藤 浩志(ふじひろし)美術家 十和田市現代美術館館長 秋田公立美術大学教授 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了後、パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所勤務を経て藤浩志企画制作室を設立。美術空間を作るデモンストレーションを実践。 https://geco.jp □藤浩志・紹介文(170文字程度) 藤 浩志(Fuji, Hiroshi) 美術家 十和田市現代美術館館長 秋田公立美術大学教授 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了後、パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所勤務を経て藤浩志企画制作室を設立。「ヤセ犬の散歩」「お米のカエル物語」「Vinyl Plastics Connection」「Kaekko」「藤島八十郎をつくる」等、各地で美術空間を作るデモンストレーションを実践。 https://geco.jp □藤浩志経歴・紹介文(300文字程度) 藤 浩志(Fuji, Hiroshi/ふじひろし) 美術家 1960年鹿児島生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇活動に没頭した後、地域社会を舞台とした表現活動を志向し京都情報社を設立。京都市内中心市街地や鴨川などを使った「アートネットワーク'83」の企画以来全国のアートプロジェクトの現場で「対話と地域実験」を重ねる。同大学院修了後青年海外協力隊員としてパプアニューギニア国立芸術学校勤務。都市計画事務所勤務を経て92年、藤浩志企画制作室を設立。各地で地域資源・適正技術・協力関係を活かしたデモンストレーションを実践。福岡県糸島市在住。NPO法人プラスアーツ副理事長。十和田市現代美術館館長。秋田公立美術大学教授 https://geco.jp □藤浩志経歴・紹介文(450文字程度) 1960年 鹿児島生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇活動に没頭した後、地域社会を舞台とした表現活動を志向し、京都情報社を設立。京都市内中心市街地や鴨川などを使った「アートネットワーク'83」の企画以来、全国各地のアートプロジェクトの現場で「対話と地域実験」を重ねる。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校勤務。土地再開発業者・都市計画事務所勤務を経て92年藤浩志企画制作室を設立。地域資源・適正技術・協力関係を活かした活動の連鎖を促すシステム型の美術表現を志向し、美術類のデモンストレーションを実践する。主な作品として、取り壊された家の柱からつくられた「101匹のヤセ犬の散歩」。一ヶ月分の給料からはじまった「お米のカエル物語」。家庭廃材を利用した地域活動「Vinyl Plastics Connection」「Kaekko」「Kaeru System」。架空のキーパーソンをつくる「藤島八十郎をつくる」等。現在福岡県糸島市在住。NPO法人プラスアーツ副理事長。十和田市現代美術館館長。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻教授。 https://geco.jp □どちらかというと美術系の略歴・紹介文 (500文字程度) 藤 浩志(Fuji, Hiroshi/ふじひろし) 美術家 十和田市現代美術館館長。秋田公立美術大学教授 1960年鹿児島生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了後、パプアニューギニア国立芸術大学講師、都市計画コンサルタント勤務を経て1992年藤浩志企画制作室を設立。バングラデッシュビエンナーレ(グランプリ受賞)、サイトサンタフェビエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭等の国際展の出品をはじめとしてインド、パキスタン、タイ、中国、韓国、台湾などアジア各地でのプロジェクトや国内の地域アートプロジェクトへの参加多数。主な作品:「鴨川泳いだこいのぼり」(1983)、「ゴジラとハニワの結婚離婚問題」(1984-85)、「ヤセ犬の散歩」(1988-96)、「media garden Eスペイス」(1989-)、「お米の砂漠、犬のおしっこ」(1991)、「お米のカエル物語」(1992-95)、「Vinyl Plastics Connection」(1999-2003)、「Kaekko」(2000-)。 近年の活動としては、「Useless Selection」「夢の鳥」「Happy Forest」「Toys Saurus」「Kaeru System」「藤島八十郎をつくる」等がある。 https://geco.jp…
Sep 23, 2019 Top
Godzzila
ゴジラ君の冒険 悩みのゴジラ君、街を歩く 僕としては苦し紛れの悩みの表現活動でしたが、1980年代の半ば当時の京都市立芸術大学や東京藝術大学の学生に与えた影響はかなり大きかったようで・・・考えてみると当時このようないわゆるフィギュア系の作品や着ぐるみ系の作品が展覧会という場に出品されるのは前例がなく、かなり画期的だったみたいで・・・あとあとの現代美術の状況の変化にかなり関与した表現になっているのが面白いですね。 1984年11月~12月 フジヤマゲイシャ京都展(京都市立芸術大学ギャラリー) フジヤマゲイシャ東京展(東京藝術大学展示室) フジヤマゲイシャ資料展(ギャラリーK/赤坂、東京) 藤浩志出品作品 ある日、彫刻作品を作りたいと思いつき、友人と話をしていた。 「何がつくりたい?」 ある友人がこう答えた。 「昔からゴジラの着ぐるみが作ってみたかったんだ!」 「よし、作ろう!」 僕の下宿がゴジラ製作所になり、材料の調達をはじめる。お金がないのでほとんど拾ってきたもので作る。 僕が上下つながった古い作業服を前後ろさかさまに着て立ちポーズをとる。友人たちが古い布団マットからスポンジをちぎってはボンドで張りつける。そんな感じでゴジラづくりがはじまった。 みんなでつくる作品は楽しい。 数週間の悪戦苦闘の末、ゴジラの着ぐるみが完成! しかし、つくったはいいけど、・・・どうしようか。 とりあえず芝生のベッドで昼寝。 とりあえずやることがない。 「僕はなぜ生まれたのか?」 ・・・と悩んでみたりしても、答えは出ない。 とりあえず、木陰で昼寝。 (実は、この写真を撮影した日、山下洋輔=ジャズピアニストのバックで友人から集めた不要の作品を燃やし続けるというパフォーマンスをゴジラの着ぐるみを着て行った。熱かった!燃えそうだった。 写真はないが演奏のテープはあるなー。途中で消防車が来たけど、怒られなかった。) 寝てても仕方ないので散歩してみることにする。 (ここから下は東京芸大と京都芸大の学生の交歓展「フジヤマゲイシャ」というふざけた名前の展覧会の企画で赤坂のギャラリーKでパフォーマンスを行ったときの写真。当時学生だった宮島達男とか野村和弘とか高橋悟とか恵原さんとか島さんとか写っていますね懐かしい。) ここは赤坂の街。 赤坂には有名人が多いらしい。 京都の街を歩いてみたときは子どもたちの人気者だった。 しかし、赤坂の街の人は冷静で忙しそう。 (ゴジラが持っているのは車の多い街を歩くために必需品の安全の旗とお買い物のメモ) 夜のネオン街ではだれも注目してくれない。 とりあえず、おなかすいたので マクドナルドに入ってみた。 「いらっしゃいませ」 「何にいたしましょうか。」 驚かれるかと思いきや、さにあらず。…
Sep 23, 2019 Top
Garden
e-space garden イイスペイス ガーデン 老夫婦が暮らす築30年の普通の個人住宅(僕の実家です。)の1階部分を一般の方に利用していただこうと開放しております。 少しずつ時間の隙間をみつけて僕なりの空間に作り変えて行きつつありますので、どうぞご利用ください。 眺めだけはとてもいいですよ。(藤浩志) 現在、貸会場として開放しております。 お茶会・音楽会・撮影会・発表会・・展覧会などにお気軽にご利用ください。 お問い合わせ、申し込みは: イイスペイスガーデン Phone/Fax (099) 206-0323 ※通常不在が多いので留守番電話にメッセージをお入れください。 Eテラス(管理室) 099-263-7008 ■ご利用時間 朝9時~夜10時 利用料金はこちら ■設備 カフェ用椅子テーブル40席、補助椅子50脚グランドピアノ搬入車両駐車場、いいながめ e-space garden 〒890-0082 鹿児島市紫原1丁目10-38 Phone/Fax:(099)206-0323 地図はこちら 入り口はとても分かりにくい普通の住宅地の中 以前はカフェとして営業していたときもありました。 使い方は皆さんのアイデア次第の舞台のような8畳の和室 和室の手前にグランドピアノがあります。不思議な空間。小さな温かい発表会にお勧めします。
Sep 23, 2019 Top
Dog
ヤセ犬の散歩 ヤセ犬については語ると長くなります。資料もたくだんあります。なんせ101匹いますから。時間をかけておいおい語ってゆくことにします。とりあえず雰囲気だけ。 やせ犬の誕生はパプアニューギニア 日本で食料銀行構想のマスコットになったことも お米の砂漠でも犬のおしっこをした 101匹のやせ犬の登場は東京都新副都心の国際展示場だった 会場ではじめて出会った本物の犬は鳴海君が連れてきた犬 台北から始まった再就職先はテーブルの足 101匹のやせ犬が街中をうろうろしたのは福岡市だけだった。 http://www.asahi-net.or.jp/~RY4H-MYMT/work.02.fuji.html 韓国ではやせ犬が走った おまけ ヤセ犬の先祖の数と子孫の予測(自分の遺伝子関係図) 「上野から旅してきた犬」 九州新幹線開通の日、上野の西郷さんの犬「ツン」が鹿児島の西郷さんに会いに行った散歩の話 (現在制作中!、まだレイアウトできていません) まだまだいっぱいあるなー。いつすべてをお話できることやら。
Sep 22, 2019 works
Dreaming Bird
2006 Fuji, Hiroshi Works File Title/ Dreaming Bird 夢の鳥 Type/ Installation Sculpture Site/Osmani Memorial Hall, Dhaka Bangladesh( 12th Asian Art Biennale awarded Grand Prix) オスマニメモリアルホール ダッカ バングラデッシュ バングラデッシュビエンナーレ出品作品 グランプリ受賞 バングラデッシュのダッカで2年に一度開催されている国際展への出品作品。AIT(Arts Inisiative Tokyo)のキュレイションにより日本代表作家として藤浩志と照屋勇賢が出品。二人でアトリウム空間を共有する形で作品を設置する。 アトリウム上部にこれまでコレクションしてきた日用品の廃棄物(歯ブラシ、髭剃り、鉛筆、ペン、プリンタインクカートリッジキャップ、おもちゃ類等)からできた鳥が展示され、フロアにはかえっこで集められたおもちゃ類が設置。展覧会後半には会場で観客の創作した詩とおもちゃが交換(かえっこ)されるというデモンストレーションが実施される。 ブログサイトによるバングラデッシュビエンナーレのレポート
Sep 22, 2019 Top
SaigoDog
上野から旅してきた犬 明治維新から約137年 初めて鉄道が開通してから132年 西郷隆盛が城山で自決してから127年 上野に西郷隆盛と愛犬「ツン」の像が建立されてから115年。 鹿児島本線が門司まで全通してから95年、 鹿児島出身の安藤照が渋谷に忠犬ハチ公像を制作してから70年 秋田犬の忠犬ハチ公が病気で死んでから69年、 忠犬ハチ公像の作者安藤照が鹿児島に西郷隆盛像を作ってから67年、 渋谷の忠犬ハチ公像が金属回収令により回収されて60年、 安藤照の息子、安藤士によって忠犬ハチ公が再建されてから56年、 東海道新幹線が開業してから40年、 そして2004年鹿児島に新幹線が開通した。 「そんな時間を上野から旅した犬がいたとする。」 美術表現はその時代の価値観を表現し、 長い年月にわたってその意識や思考を繋ぐ。 情報や交通は加速を続け、 価値観は変化し続けるが、 美術表現は時間をとどめ、 その時代の価値観を記録する。 その犬の視線がみてきた 歴史の旅をイメージするなんてのはどうでしょう。 1 東京の上野から 西郷さんの犬がやってきた その名前は「ツン」。 2 福岡から鹿児島まで連れてゆくのが 今回の僕の任務! 3 新八代駅から九州新幹線「つばめ」に乗る。 おかげで僕も新しい「つばめ」に乗る。 4 なぜかこの犬、 渋谷駅前の忠犬ハチ公像のポーズ 5 「つばめ」はその日開通したばかりで 新八代の駅は賑わっていた。 6 「・・・・」…
Sep 21, 2019 Top
HallSalon Map
e-space hall/salon イイスペイス ホール/サロン 〒890-0054 鹿児島市荒田1丁目16-7 イイテラス 10,11F ■交通 市電、市バス、鹿児島交通「交通局前」下車徒歩0分 JR鹿児島中央駅より車で5分 ■駐車場 搬入車専用1台、時間貸5台(予約要) ※十分な駐車場がありませんので電車・バス等をご利用下さい。 ■受付・予約 お問い合わせ e-mail: e_space_garden@yahoo.co.jp 〒890-0054 鹿児島市荒田1丁目16-7イイテラス101 管理室 Phone/Fax:(099)263-7008 〒890-0082 鹿児島市紫原1丁目10-38イイスペイス Phone/Fax:(099)206-0323〒890-0082
Sep 21, 2019 Top
Frogs
お米のカエル物語 1987年~1996年頃の表現です アートダイジェスト社 から出版されています。(1800円) (もう結構品切れ状態とか。そのうち全貌をアップしますね。 ここでは一部紹介します) 1989年ハラミュージアムアーク(群馬)での公開制作「世界食糧銀行構想」 1989年都市計画事務所で働いているときに、会社で食糧問題に取り組むことになりました。 そのときに会社の上司や周辺の皆と意見が合わずに悩んだあげく、 世界食料銀行構想というものを考え、そのプレゼンテーションを展覧会場で行ったことから ごたごたがはじまります。 1991年 東京都文京区本駒込にあったアトリエで3ヶ月ほど展示していたお米の砂漠 食糧問題での対立もあり、いろいろあって正社員をやめ、契約社員となったときに 退職金を使い給料1ヶ月分のお米を購入し それを食べつづけました。 そののち虫が涌き出てきて、食べれなくなったお米をおにぎりにし 2048匹のお米のカエルが生まれました。 1992年「2025カエルの池シンポジウム」青山スパイラルガーデンでの展示 1トンの食べれなくなったお米のおにぎりでつくられた2048匹のカエル達 直径15mの池を埋め尽くそうとしている様子 上空からは戦闘機の十字架がいくつもいくつも落ちてきている状態 池を囲むスパイラル状のスロープにはいろいろな専門家に行った インタビューの映像が流れている。 1993年芦屋市立美術博物館での展示{さよなら蛙達」 天井からの戦闘機の十字架が崩壊してきました。 お米のカエルもだんだんとカビが生え、瀕死の状態に。 1994年 ギャラリーなつかでの「ふりカエルBAR 」 バーカウンターに腐ったおにぎりのカエルや蛆虫が涌き出たカエルを設置し、 そこで皆さんにくつろいでもらう企画 2週間の限定営業でしたが、大勢のお客さんがお酒やコーヒーを楽しんでもらいました。 これからBARとかカフェという表現方法がはやりはじめました。 1994年高松市美術館での「カエルのキャンペーン」 お米のカエルの全体にカビがひどく生える頃、鹿児島で水害に遭遇しました。 鹿児島の水害で発生した石橋撤去、保存の問題に対して、 腐りかけたお米のカエル達といろいろキャンペーンをおこなったりしました。 1994年福岡市美術館での「カエルのキャンペーン」 大濠公園横の美術館への入り口に使われなくなった大島紬の織機を使って 腐りかけたお米のカエルを並べる展示。屋台風ですがのぞくと変なものが。 屋内には樹脂付けのお米のカエルの墓石がこれからどこかに設置される状態 壁には数百万円するといわれる大島紬が展示されていた。…
Sep 21, 2019 Top
YaseinuStory
パプアニューギニアの村でみかけるそのやせ犬達は、 病気で毛がちぎれ、ハゲハゲのガリガリで、 卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。 決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、 人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、 先進国諸国で豊かに暮らしている「飼い犬」のような生温かさはなく、 かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。 単にボロボロのボロぞうきんのようなヤセ犬だった。 ところがそいつらが、1年に数回だけ 村で特別な儀式とか祭礼とかがあるときに、 人間達といっしょに野豚狩りにでかける。 人間の仕掛けた罠に獲物の野豚を追い込むのが ヤセ犬達の仕事だという。 村人達は特別な儀礼のときだけ豚を食べる。 その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。 僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、 野豚を追っかけるなんてとても無理だろうと思っていた。 しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。 そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい! 全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。 そしてまるで猛獣のように猛然と、 一斉に、すごい勢いで野豚を追い始めた。 その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震え始めた。 僕の脊髄に何かが走った。 感動で涙が出るほど「美しい」と思った・・・。 「野豚を追うヤセ犬」より 藤浩志