Sep 21, 2019 Top

YaseinuStory

パプアニューギニアの村でみかけるそのやせ犬達は、 病気で毛がちぎれ、ハゲハゲのガリガリで、 卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。 決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、 人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、 先進国諸国で豊かに暮らしている「飼い犬」のような生温かさはなく、 かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。 単にボロボロのボロぞうきんのようなヤセ犬だった。 ところがそいつらが、1年に数回だけ 村で特別な儀式とか祭礼とかがあるときに、 人間達といっしょに野豚狩りにでかける。 人間の仕掛けた罠に獲物の野豚を追い込むのが ヤセ犬達の仕事だという。 村人達は特別な儀礼のときだけ豚を食べる。 その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。 僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、 野豚を追っかけるなんてとても無理だろうと思っていた。 しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。 そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい! 全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。 そしてまるで猛獣のように猛然と、 一斉に、すごい勢いで野豚を追い始めた。 その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震え始めた。 僕の脊髄に何かが走った。 感動で涙が出るほど「美しい」と思った・・・。 「野豚を追うヤセ犬」より   藤浩志

Sep 21, 2019 Top

Works

Fuji, Hiroshi Works 藤浩志の以前の作品をそこにある写真を少しだけ紹介。いろいろ抜けています。  そのうち整理し、おいおいそれぞれについてのお話を紹介します。時間があるかな? 鴨川泳いだこいのぼり1983年8月、京都鴨川三条大橋下あたりに無許可で設置し、撤去された表現。一応これがデビュー作?詳しくは http://www1.linkclub.or.jp/~fuji/carp/index.html 我輩はコミュニケーションできない猫になってしまっていた 1983年京都河原町周辺の店舗の前に1体づつ設置してゆこうとした作品70体近く染めて制作したが、ことごとく断られた。 なまずの群像建設未定地 なまずの群像を作り続けるふりをする表現。1983年 千葉県我孫子市手賀沼周辺 12m×12mの鳥の染色物作品 1984年頃 天井の鳥が大阪の現代美術センターでの「披露宴」の作品地面の鳥が牛窓国際芸術祭主っ品作品なんと説明をしてよいものか。 ゴジラ君の冒険 1984年当時の表現 ゴジラの着ぐるみを制作し、いろいろなところを散歩した。写真は東京赤坂のマクドナルドと東京藝術大学の展示室ちなみにゴジラは悩みの音楽を流している。 ゴジラとハニワの結婚離婚問題 1985年 大学院修了の研究課題は「ゴジラとハニワの関係」エネルギーあふれるゴジラ君と権威の象徴で中身がからっぽのハニワさんとの恋愛問題当時は結構必死で戦っていました。大学院の卒業式の時にサブソングを歌いながら芸大の池に沈めるパフォーマンスを行った。このハニワはまだ京都芸大の池にいるとか。同時に「ハニワ伝説」という漫画ちらしを配り、芸大のハニワに注意するよう後輩達に伝えた。 カメハニワの棲む島 1985年、TAMAVIVANT出品作品言葉を発しないカメがハニワの冠をかぶっているカメハニワというキャラクターを制作生命として「生きる」事と社会的に「活きる」ことを「生活」と捉え、その2つの「いきる」関係を単純なカメハニワの成長をモデルに、捉えようとしていた。 松ノ木の憂鬱1985年制作 永遠に伸びつづける老松のヌイグルミ京都の借家及び、横浜市民ギャラリー「今日の作家展」出品作品 「成長することの意味?」について国家、企業、組織、個人というレベルを想定し、それぞれの関係について疑問を感じつづけていた頃、京都の善峰寺にある30mの長さの老松に感動し、その実物大のヌイグルミを当時住んでいた京都の借家に再現した。 皇太子、皇太子妃、その息子の肖像 1986年原美術館での「ハラアニュアルIV」出品作品 国際協力事業団の青年海外協力隊員として開発途上国に赴任する前の訓練期間中、東宮御所で当時の皇太子、皇太子妃、 浩宮を訪問した。そのとき使用したのが日光月光の間その部屋の壁画を記憶で再現し、 日本を離れる前日に日本の記憶として原美術館に展示した。浩宮が濃紺にピンクの水玉の柄のある太目のネクタイをしているのが気になり、それについて歓談の中で質問した。「あまり派手なものを身につけることができないもので」と答えてくれたが、僕としては十分に派手だと思っていた。 その些細な会話がとても気になり、息苦しかった。 1987-88年、パプアニューギニアでの表現 なんと説明してよいか。これも話が長い。飛行機とcrossの原型。cross? についてはこれから深めます。 戦闘機を轢くヤセ犬 1988年パプアニューギニア国立博物館での展覧会ではじめてヤセ犬が登場!ヤセ犬についてはその後ずっと付き合うことになります。そんなこと予想しなかった。ヤセ犬についてはこちら ドラゴン屋台  1981年制作作品を使った屋台(写真は1994年鹿児島西田橋)鹿児島で石橋の解体に反対する運動を行っていた頃 101匹のヤセ犬 1996年東京ビッグサイトでの展覧会 カイトプロジェクト 1996年パキスタンのラホールでの国立芸術大学の学生と行ったワークショップ広島の灰塚のプランの実験をパキスタンの喧嘩凧で有名なラホールで行った。 このプランもまだやりかけ。灰塚ダムの完成がそろそろ迫っている。 サイクルリキシャ 1998年 インド モディナガルにてリキシャを借りてペイントし、現地の子どもたちを乗せて街を歌を歌いながら走り回った。サイクルリキシャについてのりサーチが目的。都市部に人力(低速)専用道路を整備する計画のためのデモンストレーションと位置づける。…

Sep 21, 2019 Top

HallSalonTop

e-space salon/hall Eスペイスの経験から様々な活動を生み出す空間として作り出した。10階ホールと11階のサロンが外階段でつながっている。ホールを利用するアーティストの滞在の場として、控え室、スタッフ会議の場として、もしくはイベントのウェイティングバーとして、様々な利用を想定して計画した。現在は利用が少ない事から、あるいは管理上の問題で外階段は利用できないが、どうにか開放したいですね。 竣工:1998年7月 建築企画:藤浩志 設計監理:アトリエ環 施工:中央建設株式会社2000年12月/鹿児島市建築文化賞受賞 現在は事務所とワンルームマンションの賃貸複合ビル 実は30年後、アートセンターとしてリニューアルすることを想定して企画された建築物です。だから天井高の高いコンクリート打ちっぱなしの内装と妙な構造をしています。 はやく廃墟にならないかな。それまで生きているかが問題ですね。(藤浩志)

Sep 20, 2019 works

System

かえるシステム インフォメーション メンバー 募集 日誌 お問い合わせ かえるシステム かえるシステムとは 生活廃材を地域活動のツールにかえる。人とまちとの関係のあり方をかえる。そんなしくみを目指しているのが「かえるシステム」です。藤浩志により考案されたこのシステムは、これまでアメリカ・サイトサンタフェビエンナーレなどで行われてきました。 さまざまな「かえる」の連鎖を促すために、水都大阪2009「水辺の文化座」内では、期間中52日間「かえっこ屋」と「かえる工房」をオープンします。

Sep 20, 2019 kaeru

Suito