Sep 23, 2019 Top

Godzzila

ゴジラ君の冒険 悩みのゴジラ君、街を歩く   僕としては苦し紛れの悩みの表現活動でしたが、1980年代の半ば当時の京都市立芸術大学や東京藝術大学の学生に与えた影響はかなり大きかったようで・・・考えてみると当時このようないわゆるフィギュア系の作品や着ぐるみ系の作品が展覧会という場に出品されるのは前例がなく、かなり画期的だったみたいで・・・あとあとの現代美術の状況の変化にかなり関与した表現になっているのが面白いですね。 1984年11月~12月 フジヤマゲイシャ京都展(京都市立芸術大学ギャラリー) フジヤマゲイシャ東京展(東京藝術大学展示室) フジヤマゲイシャ資料展(ギャラリーK/赤坂、東京) 藤浩志出品作品     ある日、彫刻作品を作りたいと思いつき、友人と話をしていた。 「何がつくりたい?」 ある友人がこう答えた。 「昔からゴジラの着ぐるみが作ってみたかったんだ!」 「よし、作ろう!」 僕の下宿がゴジラ製作所になり、材料の調達をはじめる。お金がないのでほとんど拾ってきたもので作る。 僕が上下つながった古い作業服を前後ろさかさまに着て立ちポーズをとる。友人たちが古い布団マットからスポンジをちぎってはボンドで張りつける。そんな感じでゴジラづくりがはじまった。 みんなでつくる作品は楽しい。 数週間の悪戦苦闘の末、ゴジラの着ぐるみが完成! しかし、つくったはいいけど、・・・どうしようか。 とりあえず芝生のベッドで昼寝。 とりあえずやることがない。 「僕はなぜ生まれたのか?」 ・・・と悩んでみたりしても、答えは出ない。 とりあえず、木陰で昼寝。 (実は、この写真を撮影した日、山下洋輔=ジャズピアニストのバックで友人から集めた不要の作品を燃やし続けるというパフォーマンスをゴジラの着ぐるみを着て行った。熱かった!燃えそうだった。 写真はないが演奏のテープはあるなー。途中で消防車が来たけど、怒られなかった。) 寝てても仕方ないので散歩してみることにする。 (ここから下は東京芸大と京都芸大の学生の交歓展「フジヤマゲイシャ」というふざけた名前の展覧会の企画で赤坂のギャラリーKでパフォーマンスを行ったときの写真。当時学生だった宮島達男とか野村和弘とか高橋悟とか恵原さんとか島さんとか写っていますね懐かしい。) ここは赤坂の街。 赤坂には有名人が多いらしい。 京都の街を歩いてみたときは子どもたちの人気者だった。 しかし、赤坂の街の人は冷静で忙しそう。 (ゴジラが持っているのは車の多い街を歩くために必需品の安全の旗とお買い物のメモ) 夜のネオン街ではだれも注目してくれない。 とりあえず、おなかすいたので マクドナルドに入ってみた。 「いらっしゃいませ」 「何にいたしましょうか。」 驚かれるかと思いきや、さにあらず。…

Sep 23, 2019 Top

Garden

e-space garden イイスペイス ガーデン 老夫婦が暮らす築30年の普通の個人住宅(僕の実家です。)の1階部分を一般の方に利用していただこうと開放しております。 少しずつ時間の隙間をみつけて僕なりの空間に作り変えて行きつつありますので、どうぞご利用ください。 眺めだけはとてもいいですよ。(藤浩志) 現在、貸会場として開放しております。 お茶会・音楽会・撮影会・発表会・・展覧会などにお気軽にご利用ください。 お問い合わせ、申し込みは: イイスペイスガーデン Phone/Fax (099) 206-0323 ※通常不在が多いので留守番電話にメッセージをお入れください。 Eテラス(管理室) 099-263-7008 ■ご利用時間  朝9時~夜10時 利用料金はこちら ■設備 カフェ用椅子テーブル40席、補助椅子50脚グランドピアノ搬入車両駐車場、いいながめ e-space garden 〒890-0082 鹿児島市紫原1丁目10-38 Phone/Fax:(099)206-0323 地図はこちら 入り口はとても分かりにくい普通の住宅地の中 以前はカフェとして営業していたときもありました。 使い方は皆さんのアイデア次第の舞台のような8畳の和室 和室の手前にグランドピアノがあります。不思議な空間。小さな温かい発表会にお勧めします。

Sep 23, 2019 Top

Dog

ヤセ犬の散歩 ヤセ犬については語ると長くなります。資料もたくだんあります。なんせ101匹いますから。時間をかけておいおい語ってゆくことにします。とりあえず雰囲気だけ。 やせ犬の誕生はパプアニューギニア 日本で食料銀行構想のマスコットになったことも お米の砂漠でも犬のおしっこをした 101匹のやせ犬の登場は東京都新副都心の国際展示場だった 会場ではじめて出会った本物の犬は鳴海君が連れてきた犬 台北から始まった再就職先はテーブルの足 101匹のやせ犬が街中をうろうろしたのは福岡市だけだった。 http://www.asahi-net.or.jp/~RY4H-MYMT/work.02.fuji.html 韓国ではやせ犬が走った おまけ ヤセ犬の先祖の数と子孫の予測(自分の遺伝子関係図) 「上野から旅してきた犬」 九州新幹線開通の日、上野の西郷さんの犬「ツン」が鹿児島の西郷さんに会いに行った散歩の話 (現在制作中!、まだレイアウトできていません) まだまだいっぱいあるなー。いつすべてをお話できることやら。

Sep 22, 2019 Top

SaigoDog

上野から旅してきた犬 明治維新から約137年 初めて鉄道が開通してから132年  西郷隆盛が城山で自決してから127年  上野に西郷隆盛と愛犬「ツン」の像が建立されてから115年。  鹿児島本線が門司まで全通してから95年、 鹿児島出身の安藤照が渋谷に忠犬ハチ公像を制作してから70年 秋田犬の忠犬ハチ公が病気で死んでから69年、 忠犬ハチ公像の作者安藤照が鹿児島に西郷隆盛像を作ってから67年、 渋谷の忠犬ハチ公像が金属回収令により回収されて60年、 安藤照の息子、安藤士によって忠犬ハチ公が再建されてから56年、 東海道新幹線が開業してから40年、 そして2004年鹿児島に新幹線が開通した。 「そんな時間を上野から旅した犬がいたとする。」 美術表現はその時代の価値観を表現し、 長い年月にわたってその意識や思考を繋ぐ。 情報や交通は加速を続け、 価値観は変化し続けるが、 美術表現は時間をとどめ、 その時代の価値観を記録する。 その犬の視線がみてきた 歴史の旅をイメージするなんてのはどうでしょう。 1 東京の上野から 西郷さんの犬がやってきた その名前は「ツン」。 2 福岡から鹿児島まで連れてゆくのが 今回の僕の任務! 3 新八代駅から九州新幹線「つばめ」に乗る。 おかげで僕も新しい「つばめ」に乗る。 4 なぜかこの犬、 渋谷駅前の忠犬ハチ公像のポーズ 5 「つばめ」はその日開通したばかりで 新八代の駅は賑わっていた。 6 「・・・・」…

Sep 21, 2019 Top

HallSalon Map

e-space hall/salon イイスペイス ホール/サロン 〒890-0054 鹿児島市荒田1丁目16-7 イイテラス 10,11F ■交通 市電、市バス、鹿児島交通「交通局前」下車徒歩0分 JR鹿児島中央駅より車で5分 ■駐車場 搬入車専用1台、時間貸5台(予約要) ※十分な駐車場がありませんので電車・バス等をご利用下さい。 ■受付・予約 お問い合わせ e-mail: [email protected] 〒890-0054 鹿児島市荒田1丁目16-7イイテラス101 管理室 Phone/Fax:(099)263-7008 〒890-0082 鹿児島市紫原1丁目10-38イイスペイス Phone/Fax:(099)206-0323〒890-0082

Sep 21, 2019 Top

Frogs

お米のカエル物語 1987年~1996年頃の表現です アートダイジェスト社 から出版されています。(1800円) (もう結構品切れ状態とか。そのうち全貌をアップしますね。 ここでは一部紹介します) 1989年ハラミュージアムアーク(群馬)での公開制作「世界食糧銀行構想」 1989年都市計画事務所で働いているときに、会社で食糧問題に取り組むことになりました。 そのときに会社の上司や周辺の皆と意見が合わずに悩んだあげく、 世界食料銀行構想というものを考え、そのプレゼンテーションを展覧会場で行ったことから ごたごたがはじまります。 1991年 東京都文京区本駒込にあったアトリエで3ヶ月ほど展示していたお米の砂漠 食糧問題での対立もあり、いろいろあって正社員をやめ、契約社員となったときに 退職金を使い給料1ヶ月分のお米を購入し それを食べつづけました。 そののち虫が涌き出てきて、食べれなくなったお米をおにぎりにし 2048匹のお米のカエルが生まれました。 1992年「2025カエルの池シンポジウム」青山スパイラルガーデンでの展示 1トンの食べれなくなったお米のおにぎりでつくられた2048匹のカエル達 直径15mの池を埋め尽くそうとしている様子 上空からは戦闘機の十字架がいくつもいくつも落ちてきている状態 池を囲むスパイラル状のスロープにはいろいろな専門家に行った インタビューの映像が流れている。 1993年芦屋市立美術博物館での展示{さよなら蛙達」 天井からの戦闘機の十字架が崩壊してきました。 お米のカエルもだんだんとカビが生え、瀕死の状態に。 1994年 ギャラリーなつかでの「ふりカエルBAR 」 バーカウンターに腐ったおにぎりのカエルや蛆虫が涌き出たカエルを設置し、 そこで皆さんにくつろいでもらう企画 2週間の限定営業でしたが、大勢のお客さんがお酒やコーヒーを楽しんでもらいました。 これからBARとかカフェという表現方法がはやりはじめました。 1994年高松市美術館での「カエルのキャンペーン」 お米のカエルの全体にカビがひどく生える頃、鹿児島で水害に遭遇しました。 鹿児島の水害で発生した石橋撤去、保存の問題に対して、 腐りかけたお米のカエル達といろいろキャンペーンをおこなったりしました。 1994年福岡市美術館での「カエルのキャンペーン」 大濠公園横の美術館への入り口に使われなくなった大島紬の織機を使って 腐りかけたお米のカエルを並べる展示。屋台風ですがのぞくと変なものが。 屋内には樹脂付けのお米のカエルの墓石がこれからどこかに設置される状態 壁には数百万円するといわれる大島紬が展示されていた。…

Sep 21, 2019 Top

YaseinuStory

パプアニューギニアの村でみかけるそのやせ犬達は、 病気で毛がちぎれ、ハゲハゲのガリガリで、 卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。 決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、 人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、 先進国諸国で豊かに暮らしている「飼い犬」のような生温かさはなく、 かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。 単にボロボロのボロぞうきんのようなヤセ犬だった。 ところがそいつらが、1年に数回だけ 村で特別な儀式とか祭礼とかがあるときに、 人間達といっしょに野豚狩りにでかける。 人間の仕掛けた罠に獲物の野豚を追い込むのが ヤセ犬達の仕事だという。 村人達は特別な儀礼のときだけ豚を食べる。 その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。 僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、 野豚を追っかけるなんてとても無理だろうと思っていた。 しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。 そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい! 全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。 そしてまるで猛獣のように猛然と、 一斉に、すごい勢いで野豚を追い始めた。 その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震え始めた。 僕の脊髄に何かが走った。 感動で涙が出るほど「美しい」と思った・・・。 「野豚を追うヤセ犬」より   藤浩志

Sep 21, 2019 Top

Works

Fuji, Hiroshi Works 藤浩志の以前の作品をそこにある写真を少しだけ紹介。いろいろ抜けています。  そのうち整理し、おいおいそれぞれについてのお話を紹介します。時間があるかな? 鴨川泳いだこいのぼり1983年8月、京都鴨川三条大橋下あたりに無許可で設置し、撤去された表現。一応これがデビュー作?詳しくは http://www1.linkclub.or.jp/~fuji/carp/index.html 我輩はコミュニケーションできない猫になってしまっていた 1983年京都河原町周辺の店舗の前に1体づつ設置してゆこうとした作品70体近く染めて制作したが、ことごとく断られた。 なまずの群像建設未定地 なまずの群像を作り続けるふりをする表現。1983年 千葉県我孫子市手賀沼周辺 12m×12mの鳥の染色物作品 1984年頃 天井の鳥が大阪の現代美術センターでの「披露宴」の作品地面の鳥が牛窓国際芸術祭主っ品作品なんと説明をしてよいものか。 ゴジラ君の冒険 1984年当時の表現 ゴジラの着ぐるみを制作し、いろいろなところを散歩した。写真は東京赤坂のマクドナルドと東京藝術大学の展示室ちなみにゴジラは悩みの音楽を流している。 ゴジラとハニワの結婚離婚問題 1985年 大学院修了の研究課題は「ゴジラとハニワの関係」エネルギーあふれるゴジラ君と権威の象徴で中身がからっぽのハニワさんとの恋愛問題当時は結構必死で戦っていました。大学院の卒業式の時にサブソングを歌いながら芸大の池に沈めるパフォーマンスを行った。このハニワはまだ京都芸大の池にいるとか。同時に「ハニワ伝説」という漫画ちらしを配り、芸大のハニワに注意するよう後輩達に伝えた。 カメハニワの棲む島 1985年、TAMAVIVANT出品作品言葉を発しないカメがハニワの冠をかぶっているカメハニワというキャラクターを制作生命として「生きる」事と社会的に「活きる」ことを「生活」と捉え、その2つの「いきる」関係を単純なカメハニワの成長をモデルに、捉えようとしていた。 松ノ木の憂鬱1985年制作 永遠に伸びつづける老松のヌイグルミ京都の借家及び、横浜市民ギャラリー「今日の作家展」出品作品 「成長することの意味?」について国家、企業、組織、個人というレベルを想定し、それぞれの関係について疑問を感じつづけていた頃、京都の善峰寺にある30mの長さの老松に感動し、その実物大のヌイグルミを当時住んでいた京都の借家に再現した。 皇太子、皇太子妃、その息子の肖像 1986年原美術館での「ハラアニュアルIV」出品作品 国際協力事業団の青年海外協力隊員として開発途上国に赴任する前の訓練期間中、東宮御所で当時の皇太子、皇太子妃、 浩宮を訪問した。そのとき使用したのが日光月光の間その部屋の壁画を記憶で再現し、 日本を離れる前日に日本の記憶として原美術館に展示した。浩宮が濃紺にピンクの水玉の柄のある太目のネクタイをしているのが気になり、それについて歓談の中で質問した。「あまり派手なものを身につけることができないもので」と答えてくれたが、僕としては十分に派手だと思っていた。 その些細な会話がとても気になり、息苦しかった。 1987-88年、パプアニューギニアでの表現 なんと説明してよいか。これも話が長い。飛行機とcrossの原型。cross? についてはこれから深めます。 戦闘機を轢くヤセ犬 1988年パプアニューギニア国立博物館での展覧会ではじめてヤセ犬が登場!ヤセ犬についてはその後ずっと付き合うことになります。そんなこと予想しなかった。ヤセ犬についてはこちら ドラゴン屋台  1981年制作作品を使った屋台(写真は1994年鹿児島西田橋)鹿児島で石橋の解体に反対する運動を行っていた頃 101匹のヤセ犬 1996年東京ビッグサイトでの展覧会 カイトプロジェクト 1996年パキスタンのラホールでの国立芸術大学の学生と行ったワークショップ広島の灰塚のプランの実験をパキスタンの喧嘩凧で有名なラホールで行った。 このプランもまだやりかけ。灰塚ダムの完成がそろそろ迫っている。 サイクルリキシャ 1998年 インド モディナガルにてリキシャを借りてペイントし、現地の子どもたちを乗せて街を歌を歌いながら走り回った。サイクルリキシャについてのりサーチが目的。都市部に人力(低速)専用道路を整備する計画のためのデモンストレーションと位置づける。…

Sep 21, 2019 Top

HallSalonTop

e-space salon/hall Eスペイスの経験から様々な活動を生み出す空間として作り出した。10階ホールと11階のサロンが外階段でつながっている。ホールを利用するアーティストの滞在の場として、控え室、スタッフ会議の場として、もしくはイベントのウェイティングバーとして、様々な利用を想定して計画した。現在は利用が少ない事から、あるいは管理上の問題で外階段は利用できないが、どうにか開放したいですね。 竣工:1998年7月 建築企画:藤浩志 設計監理:アトリエ環 施工:中央建設株式会社2000年12月/鹿児島市建築文化賞受賞 現在は事務所とワンルームマンションの賃貸複合ビル 実は30年後、アートセンターとしてリニューアルすることを想定して企画された建築物です。だから天井高の高いコンクリート打ちっぱなしの内装と妙な構造をしています。 はやく廃墟にならないかな。それまで生きているかが問題ですね。(藤浩志)